品川硝子製造所の伝習生の氏名
品川硝子製造所は、多くの伝習生を育成し、ここで育った伝習生が日本各地に散って日本のガラス産業の草分けになりました。その数は75名にのぼると言われており、その内45名の名前が分かっています。(写真は特記した物以外は山口本より転載。)
(★出典:井上曉子「品川硝子について(2)」日本ガラス工芸学会誌、1979年。
山口勝旦「江戸切子」里文出版,1993年
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
平井 傳吉・・ |
○・ |
・・ |
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平井 留吉 |
○ |
・ |
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古沢 某 |
○ |
・ |
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ま行
松本 磯吉 |
○・ |
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三村 豊八 |
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○・ |
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江戸切子業として成功。 |
宮崎 阿三郎 |
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○ |
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宮脇 遠次郎 |
○ |
○ |
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宮崎 竹次郎 |
○ |
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や行
山口 丸太郎 |
○・ |
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山田 栄太郎 |
○ |
○ |
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日本硝子へ。その後、山田光学を創立。 |
山田 平吉 |
○ |
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八重田 常吉 |
○ |
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八重田研磨工場の創立者(精工舎に時計硝子枠を独占納入) |
横山 某 |
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○・ |
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品川硝子退所後に、大重仲左衛門と、芝・三田に大山舎という硝子工場を設立した。 |
吉沢 某 |
○ |
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吉田 初太郎 |
○ |
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岩城硝子へ |
合計: |
35 |
28 |
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重複を除いた総数=45 (+藤山種広+宮垣秀次郎) |
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